毎日投稿目指してます。今回はスウェーデンと日本の類似性についてちょーっとまったーと問題提起したいんです。
暗黙の了解から俯瞰するスウェーデンと日本
別の記事にも書きましたが、
スウェーデンには暗黙のルールみたいなものがあります。
その中には日本の習慣とそっくりなものがたくさんあったわけです。
例えば
・靴を脱ぐ
・パーソナルスペースが広い
・順番待ちの列を作る
事など、社会全体をみてシステマティックでクールな国と言う
印象を受けます。
でもスウェーデンで実際生活を始めてから
2つの国は似ているようで異なる国だという認識が
だんだんはっきりしてきました。
日本にいたらスウェーデン人と接する機会なんてほとんど
ないので、ヨーロッパの中の日本
と形容されることもしばしばあるようですが
この表現に関して
違和感を覚える
んですよね。
何をもって似ているということが問題です。
類似点:性格?
スウェーデン人の性格に関しては
シャイなんだろうな、という人が多数います。
挨拶してもシャイなのか聞こえてないのか知りませんが
返ってこないこともあるぐらい。
それは日本でも同じです。
この点は確かに似ています。
しかしシャイなヨーロッパ人はスウェーデンでなくても
山のようにいるのは事実です。
過去の記事で暗黙のルールLagom(適度)と言うものに触れましたが
常に適度で穏やかでいることに美学を見出すという言葉だそうです。
確かに日本人と似ているものがありますね。
しかし根底にある文化的な背景を知れば
両者が似て非なるものであることをきちんと理解することができますし、
いざスウェーデン人と接した時、恥をかかずにすみます。
まず日本人が控えめなのはもともと農耕民族で集団社会だったので
自分の意見よりも集団の中の大多数の意見を重んじる文化だからですね。
なので自分が目立ってしまうと「村八分」の被害にあう。
現代でも形を変えてママ友同士の関係や、会社としての組織の中の社員さん、
といった形で存在し続けています。
スウェーデンの「適度」と言う言葉はもともとヴァイキング時代の名残で、瓶に入っている
お酒をみんなに平等に分けるための意味合いでつかっていたようです。
自分だけ飲んだら他の人のお酒の分がなくなってしまうので、「適度に」という
言葉で個人個人をコントロールしていたわけです。
だからスウェーデンは個人個人の間の調和を図るために控えめであれ、
という教えなわけであって、日本のそれとはまったく違うことがわかりますね。
スウェーデンで靴を脱いでから家に上がるのも
「家へ対する尊敬の表し方」
であってこれも日本の畳文化とは似て非なるものです。
赤ちゃんの個性も尊重する国:スウェーデン
もう一つ分かりやすい例えを経験談から。
私は自分の息子を連れて買い物行きました。
最初は息子の機嫌はすこぶるよかったのに、お腹がすいたようで
おぎゃあ おぎゃあと泣き出しました。
当然周りはこちらをちらちらとみてきます。
そんな私を見かねた夫は私と息子をスーパーの外へ連れ出しました。
みなさんはどうして夫が私を外に連れて行ったと思いますか?
日本だったら
「赤ちゃんうるさいしほかの人に迷惑かけるから」
の意見のほうが多分多数だと思うんです。
スウェーデンでは
「赤ちゃんがお腹すいて泣いてるのに親はのんきに買い物か!」
という考えなのです。
赤ちゃんはすでに個人の意思を社会的に尊重されています。
しかるに、下手して赤ちゃんを連れまわすと児童相談所に
通報される恐れもあるぐらい、子供のケアには厳しい国です。
このようにスウェーデンでは
赤ちゃんでさえも個人としての意見が尊重され優先的に扱われます。
皆さんもご存知かもしれませんが、さらにスウェーデンでは
女性の地位を向上させるために、社会的なシステムも共働き優先の方向で
舵を切っているので、現在日本で主婦の働き方を悩ませている扶養制度がありません。
スウェーデンでは女性は働かなければ年金ももらえませんし、あまり良いことがないようです。
しかるに日本のテレビ番組で理想の社会として紹介されるスウェーデンという国の
保育制度は共働きする家庭に必要不可欠なもの
であることがわかります。
文化的な背景を知ったうえで両者を比較してみると
また違った側面が見えてきて面白いですね。
だからやたらとスウェーデンに親近感を覚えちゃうのも考えものだなと思ってしまいました。